不動院

不動院について

不動院の歴史

不動院の歴史
不動院の歴史
不動院の歴史

「不空羂索観音(不動院御本尊・秘仏)」
渡辺悦子画

JR山陽本線里庄駅から国道2号線を越え南に700メートルほど行くと、左手に“里庄富士”と呼ばれる竜王山のふもとの小高い丘陵に色あざやかな緑青の屋根が見える。不動院の本堂である。
不動院の本尊は衆生を羂索(漁猟用の網)で漏れなく済度するといわれている不空羂索観音菩薩で、瀬戸内三十三観音のうちでは唯一のものである。身丈1.13メートルの木仏立像で、秘仏で33年ごとに本尊開扉法要が厳修されている。
他に、不動明王、毘沙門天、弘法大師など諸尊が安置祭祀されている。
開山の智算和尚は、不動院を開基する前には里庄町里見の霊山寺の住職を務めていた。寛文5年(1665年)に備前藩主池田光政公が領内の寺院整理で霊山寺が廃寺。
智算和尚は、現在の不動院の境内地にあたるところに霊山寺の中堂があったのを幸いに移居し、元禄6年(1693年)不動院を開基建立した。
当時この地は新庄村といわれ、摂州麻田藩主青木氏の領内だったため池田藩の寺院整理(廃仏毀釈)から逃れることができた。智算和尚はその後、霊山寺を再建した後に、笠岡の地福寺に移住しそこで入寂したと伝えられている。
開基以来二百数十年経て、堂宇の腐朽が甚しくなり、第十六世智賢和尚が改築を発願。昭和8年4月には総欅入母屋造り銅板葺き169平方メートルの本堂と庫裡が新築落成した。
現在境内には、本堂、客殿、庫裡、瑜伽堂、鐘楼堂、山門、薬師堂の諸堂が甍を垂れ、その間を老松がめぐり閑静にして端正なたたずまいをみせている。
 境内の西側にある瑜伽大権現堂は、本尊を阿弥陀如来、薬師如来として文政7年(1824年)児島郡瑜伽山蓮台寺より勧請。毎年陰暦6月23日を祭日としている。宵祭は地元に伝わる「大原踊り」なども行われ、群衆で賑わっていた。

鐘楼堂は明治15年に建てられ、2階建て構造の欅造り瓦葺きで、下り棟の四方先端に四天王像を配している。また、建物の腰から下は板張りの袴腰が付けられ、均整のよく取れた優美な建築である。なお、梵鐘は明治15年に鋳造されたが今はなく、現在のものは、明治39年に再鋳されたものである。

平成19年10月、第十八世清禅和尚が入寂された後、本堂・客殿に雨漏りがあり、全体の老朽化も進んでおり、大改修の必要が有ることが判明した。
第十九世隆厚住職の就任を機に改修事業実行委員会を設立、浄財の募金活動を開始した。檀家の寄付により本堂・客殿・庫裡・鐘楼堂・山門・瑜伽大権現堂・薬師堂・蔵・外便所・塀など全面改修し、平成26年春に完成。
平成26年5月3日に「第十九世渡辺隆厚師晋山式・落慶法要・本尊開扉法要」が盛大に執り行われ、昭和8年以来最大の事業が完遂された。

不動院晋山式・落慶法要・本尊開扉法要(平成26年5月3日)

稚児行列
稚児行列
お茶席
お茶席
法会
法会
桃太郎少年合唱団
桃太郎少年合唱団

不動院の歴代住職

「清禅和尚(第十八世)」渡辺悦子画

「清禅和尚(第十八世)」渡辺悦子画

第 一世 阿闍梨智算大和尚
第 二世 大阿闍梨弘永上人
第 三世 権大僧都法印弘遍上人
第 四世 阿闍梨晄英上人
第 五世 阿闍梨貫益上人
第 六世 阿闍梨観行上人
第 七世 法印光恵上人
第 八世 法印真龍和尚
第 九世 法印恵恭上人
第 十世 法印宥恭上人
第十一世 権大僧都法印法谷上人
第十二世 伝燈大阿闍梨法印玄明大和尚
第十三世 阿闍梨道律上人
第十四世 少僧都龍海上人
第十五世 伝燈大阿闍梨宥範上人
第十六世 権大僧正智賢上人
第十七世 阿闍梨孝寿大和尚
第十八世 阿闍梨清禅大和尚
第十九世 渡邊隆厚僧正

不動院の概要

不動院の概要
第十九世 渡邊隆厚僧正

高野山真言宗 三部山 不動院
〒719-0302 岡山県浅口郡里庄町新庄3167
TEL (0865)64-2102
FAX (0865)64-2159

高野山真言宗備中霊場 第79番
瀬戸内三十三観音霊場 第19番
備中浅口西国霊場 第11番

御本尊 「不空羂索観音」
住職 第19世 渡辺隆厚僧正

アクセス

アクセス:
JR西日本 山陽本線 里庄駅から車で4分、徒歩なら15分
山陽自動車道 鴨方ICから車で15分
山陽自動車道 笠岡ICから車で17分

-駐車場
普通車25台
バス1台